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今月の園だよりから
2025年度

青山学院幼稚園からの「園だより」をお届けします。

6月のおたより

園長より

雨に濡れた紫陽花の花が色を深め、園庭の木々も瑞々しく輝いています。6月は「恵みの雨の季節」です。子どもたちは、雨の日も水たまりを楽しんだり、カタツムリやダンゴムシに夢中になったりしながら、自然の不思議と出会っています。

神さまは、目には見えなくても、こうして私たちの日常のすぐそばで、やさしく包み、育んでくださっています。聖書には「雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え食べる人には糧を与える。」(イザヤ書55章10節 新共同訳)とあります。子どもたちもまた、雨の中で心と体をのびのびと育んでいるように思います。

5月には、幼稚園で母の日礼拝を行いました。子どもたちは、母の日の歴史を聞き、讃美と祈り、そして手作りの贈り物を通して、お母様への感謝の気持ちを表しました。

母の日礼拝の終わるちょうどその頃、青山学院を特別なお客様が訪れました。日本で初めて「母の日礼拝」を正式な行事として始めた青山女学院第3代院長、ファニー・G・ウィルソン先生の孫娘、サラ・ビショップさんとそのご家族が来校されたのです。サラさんは、青山学院ミュージアムを見学され、かつてお祖母様が築かれた青山学院の歩みと、今なお続く母の日礼拝の営みに深く感動されていました。その訪問の様子は、青山学院のホームページにも紹介されています。

青山学院ミュージアムは、創立から151年にわたる学院の歴史を、丁寧に、そして豊かに伝えてくれる場所です。私たちが今、子どもたちと過ごしているこの日々が、長い歴史と祈りの積み重ねの上にあることを、あらためて教えてくれます。
ご多用のこととは存じますが、ぜひ一度、皆さまにも足をお運びいただき、青山学院の歩みと精神にふれていただければ幸いです。

「わが主をたたえよ。我らの救いの神は 日々、私たちを担ってくださる。」詩編68編20節

5月のおたより

園長より

園庭の木々には柔らかな新緑が芽吹き、芝生の緑も日ごとに濃くなり、幼稚園は一年で最も美しい季節を迎えました。新園舎の建築コンセプトのとおり、神様の守りの中で、光と風と木のぬくもりに包まれて、子どもたちの遊びが日々生まれています。新しい園庭では、子どもたちが砂場に水を流したり、ツリーハウスから滑り降りたり、歓声を上げながら元気いっぱいに遊ぶ姿を見るたびに、心が躍り嬉しくなります。

私が青山学院中等部に着任したのは、35年も前のことです。校舎の壁にはツタの若葉がつややかに輝いていました。その美しいツタの葉を見ながら、「これからどんなことがあっても、青山学院で働くことができた喜びを決して忘れない」と心に刻みました。それ以来、ツタの若葉を見るたびに、そのときのことを思い出していました。

皆さまにも、子どもとの日々の中で忘れられない思い出がたくさんあることでしょう。お子さんが生まれた日の喜び、かわいらしい声で笑った日のこと、はじめて寝返りを打った日、つかまり立ちができた日、はじめて歩いた日――そうした瞬間を思い返すたび、心が温かくなるのではないでしょうか。子どもたちは私たちに、大きな喜びと頑張る力、そして夢と希望を与えてくれます。

しかし、子育てには愛情だけではなく、体力や気力、忍耐も必要です。一人ひとり違う子どもたちと向き合う中で、何が正解か分からなくなることや、他の人と同じようにいかないことも多いでしょう。それでも、子どもの成長を願い、支え続ける中で、私たち自身も子どもと共に、親として、保育者として、人として成長させられていることに気づかされます。

子どもたちからいただく喜びと希望、そして力に感謝しながら、これからも共に歩んでまいりましょう。

「子どもたちは主からの贈り物であり、報いです。」詩編127 3節(リビングバイブル)

4月のおたより

園長より

青山学院創立150周年を記念して建築された幼稚園舎に加えて、園庭も完成しました。いよいよフルオープンです。広い砂場に、ツリーハウス。以前の園庭にあった三角遊具やままごと小屋、池や畑も整備されました。「いとすぎの森」の木は、まだ細くて頼りなく感じますが、子どもたちの成長と共に立派な森になることでしょう。

歩道に面した生垣の木は何本か枯れたように見えますが、植木屋さんによるとまだ芯が枯れていないので、もう少し新芽が出るのを待っていてくださいとのことでした。私は外を通る人から見られて恥ずかしいので植え替えてもらいたいと思いましたが、今は見栄えが悪くとも、いまに新芽が出て立派に成長するようです。これは、人の姿に似ているように思います。子どもの成長は人によって全く違います。成長の平均値は一つの目安にすぎません。進捗の差はあっても、成長していれば大丈夫です。子どもの成長は依存と自立が行ったり来たりです。親との距離も離れたりくっついたりしながら、少しずつ自立の道を進んでいきます。友達との関係も同じです。ケンカをしたり仲良くなったり、子どもたちの世界も、自分の思いのままにならない葛藤に満ちています。それは、大人と同じです。子どもは親の作品ではありません。親の意思のままに動くロボットでもありません。親とは違う全く別の人格です。たとえ今は不完全に見えようとも、若木の芽吹きを祈りつつ見守り待ちたいと思います。

子どもが新しい園舎と園庭で、思いのままに遊ぶ姿を喜び、感謝し、お祈りいたします。

「神は、造ったすべてのものを御覧になった。それは極めて良かった。」創世記1章31節